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白球の系譜 ~土浦日本大学高等学校 硬式野球部 小菅監督~

 8月6日から23日まで阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)で開催された全国高校野球選手権記念大会。
 茨城県代表として出場した土浦日本大学高等学校(以下、土浦日大)硬式野球部が茨城県勢として20年ぶりとなる4強入りを果たしました。
 広報常総10月号では、そんな土浦日大硬式野球部を率いた、当市出身の小菅勲監督と、監督の教え子であり、チームの参謀役として勝利に貢献した、当市在住の丸林直樹コーチに話しを聞きました。

土浦日本大学高等学校 硬式野球部 監督/教諭 小菅 勲 氏 (水海道中学校出身)

Q:春夏通じて学校として初の4強入りを果たした感想をお聞かせください。

小菅監督:このチームは、甲子園で勝つことを目標に練習をしてきたチームなので、まずその成果が出せたっていうことが非常に嬉しく思います。
OBの皆さんとか関係者の皆さんにいつも応援していただいているので、そういった方々に恩返しができたっていうことも喜ばしく思っています。

甲子園40勝の恩師の背中を追いかけて

Q:20年前の4強入りは、監督の恩師である木内監督が率いる常総学院が成し遂げましたが、木内監督に何と報告しますか?

小菅監督:甲子園から帰ってきた翌日にお墓の方に行きまして、ご報告とその成果を話してきたんですけれども「まだまだ」だとか「こんなんで満足するな」なんていう声が聞こえてきたような気がしました。
木内監督は、甲子園で40勝、優勝も3回もされている方なので、まだまだ足元にも及ばないですよね。だからこそ、良い目標にもなります。

Q:2004年には,県決勝で下妻二高対木内監督が育てた常総学院と対戦しました。結果は8-2で大勝しましたが、その時を振り返って、心境をお聞かせください。

小菅監督:その時はもう格上の相手で、私学と公立高校が試合をするという構図だったので、その時の常総学院の監督は持丸先生(現在は専修大学松戸高等学校硬式野球部 監督)だったんですけどね。木内監督が2003年に全国優勝をされて、その辞められた次の年に当たったもんですから、チャレンジャーとしてぶつかって。むしろ戦いやすかった部分がありますね。

あと、2004年というのは、私たちの1984年に全国制覇をして、ちょうど指導者になって10年経った時で、それから20年ということですね。私、その時37歳だったんですけど、どうしても何か節目の年で甲子園に出たいと、そのチャレンジをした1年間だったんですね。

また、木内監督が2003年に勇退されましたので、これから茨城の構図が変わってくる勢力図が変わっていく中で、これも「先陣を切ってトップを取りたいな」とたというところで、2004年というのは特別な思い入れがあった年だったんですね。

恩師と掴んだ甲子園優勝

取手二高で甲子園優勝をした時のインタビュー記事(広報みつかいどう昭和59年9月号)

Q:自身も名将の下で甲子園優勝という輝かしい結果を残していますが、監督として木内監督から学んだこと、アドバイスがあったことがあれば、お聞かせください。また、それを今の指導にどう生活かしていますでしょうか。

小菅監督:まず信念ですね。技術的な事とかは別に学んだつもりはないんですけども、野球をやる信念で、その中でも選手あっての監督なんだということです。

(選手の所に)とにかく降りて行きなさいと、目線は低くして、選手の様子とか何を考えてるんだろうっていう機微ですね。それに敏感になりなさいと、そこが土台ということを教わりまして、自分のモットーでもあるんですけど、「目線は低く、志は高く」っていうのは、木内さんから学んだような気がします。

選手とのコミュニケーションもその立場です。話すだけがコミュニケーションではないと思うんです。彼らは今何を欲しているのかなとか、今どんな状況なのかなとか、そういった選手の立場を常に鑑みながら練習をしていく野球をやっていくっていうのが大事なんだということは、これは木内さんがあの時代にやって考えてこられた実践しておられたことなので。今の時代の私たちはもっとアップデートしてやっていくしかないといつも思っています。

限界を超えてこそ脱皮・成長ができる


Q:選手が甲子園の雰囲気に呑まれず,自身を持ってプレーをしていたように見えました。普段の練習の成果と思われますが,どのような練習をしていますか?

小菅監督:甲子園は、やっぱりお客さんも楽しんでいますし、こっちも真剣勝負を楽しみますし、非常に抽象的なんですけど、甲子園と一体化しようねっていう話をしたんですね。

そういう意味では非常に選手達ものびのびと楽しんで野球をしていたと思います。

普段の練習は基礎基本を大事にして特別なメニューをこなしてはいるつもりはないんですけども、やっぱり1球1球大事にするっていうのが大事な事だと思います。野球では古くから一球入魂という言葉がありますが、まさにそれを実際に体現できたチームだったので、その分、結果もついてきたと思います。

あと、限界を超えないとなかなか脱皮成長できないので、それについては冬の間猛練習をします。

寝ないで4部制で練習してみたり。朝の4時から8時まで、今度は9時から12時まで、今度は1時から4時までで、夜の6時から8時までの4部ですね。そういった練習を7日間ぐらい繰り返したり、夜に筑波山に歩いて行って、朝に筑波山を登って下りて、帰ってきて練習するということはやりました。

選手に自信をつけさせるためですね。俺はここまでやったんだというのをやっぱり体験してもらいたいっていうことで、そういったことも強さの一つにはなってるかもしれません。

Q:それだけハードな練習をするとなると、選手のモチベーションの維持が大変そうですが、選手のモチベーションを上げる秘訣はありますか?

小菅監督:主体が選手なので、彼らの青春時代を自分は預かってるとか、支えてるってことなので、そのためにどうしたらいいかなって考えてれば何か自然と言葉が出たりしますね。

自分主体だとやっぱり「ちゃんとやれよ」っていうことになったりすると思うんですけども、疲れてる時もあれば落ち込んでいる時もあるので、そういった時の声掛けとか一緒になって寄り添うじゃないですけども、そういったことがあれば、自然と言葉は何か出てくるような感じがします。

今は何かポジティブだけとかノリだけとか、そういった子ども達じゃないので、今はですね。非常に大事に育てられているので、やっぱり君はどう思うんだというところがないとやっぱり寄り添えないので、あくまでも主体は選手だっていう風に思ってやってます。

Q:それが土浦日大の強さの秘訣でしょうか?

メンタルが大部分占めると思うんですよね。
やっぱり心あっての野球なので、選手と同じ目線に立つことで、精神的なバランスをとることを大事にしてますね。

選手同士の声掛けで良いものを作っていく

Q:今大会は、球児の髪型についても話題になりました。土浦日大は髪を伸ばしている部員も、坊主にしている部員もいますが、髪型選択を自由にしたのには、どういった経緯があったのかお聞かせいただけますか?

小菅監督:5年ぐらい前から始めまして、ちょうどその頃って色んな学校スポーツにおいて管理主義が良くないとか、ハラスメントの問題とか結構膿が出た時だったと思うんですよね。

そこで「今までの当たり前だったことを1回見直そう」という中で「やっぱり髪の毛って強制するもんじゃないよな」というのがやっぱりありました。

前々からそう思ってたんですけども、同調圧力みたいなもので、果たしてやっていいものかなと思いまして、特にOBとかオールドファンの人が何て言うかなとか、気にはなってたんですね。

ところが、やっぱり変えるべきだろうと、この流れの中で思い切って変えてみました。2~3年はちょっと紆余曲折あったんですけど、やっぱり髪の毛が変な形になったり、伸ばしすぎたり・・・

そこで、何が一番効いたかっていうと、選手同士の横の声、選手同士で、「ちょっとその髪まずいんじゃないの」とか(笑)

これは結構見えざる手で、選手に渡しとけば良いものになるんだと。
やっぱり一つの目安は清潔感、高校生らしさ。甲子園に招かれるかというところで、そういった大雑把なことだけ言ってきました。

本当にだんだん年を経るごとにスマートな髪型になっていったと思います。今、どこに出しても恥ずかしくないと思うんですけど、あれは自分は不思議な経験体験だったと思います。

やっぱり強制になってしまう指導者の一言よりも、選手同士が声かけ合っていいものを作ってくっていうのは、他のことにも及んでいいんじゃないかなというのはありましたね。

Q:選手同士の中でも声の掛け合いがあるんですね。

そうなんです。あれは不思議な体験でした。図らずもという感じでした。
こっちがするのは我慢ですよね。坊主にしちゃうとか髪の毛切らしちゃうっていうのが手っ取り早いんですけども、ちょっと我慢をして良いものを作り上げるまでに2~3年かかりましたが、それが今回の甲子園のベスト4にも結び付いているような気がします。

それは、チームのチームワーク・風通しの良さ・みんなで色々運営していくことっていう。そこに指導者が支えていればいいのかなと。

指導っていうのはおかしいなことだなって思ってるんですよね。良さを引き出していくっていうのをマネジメントしていくってのが、我々がやることなのかなって。
自分はEDUCATIONの方が好きだって言ってるんですけども、EDUCATIONを日本語に直すと「教育」なんですけども、EDUCATION本来の意味は「引っ張り出す」っていう意味ですから。だからそういう風に捉えてます。

押し付けられた年齢の者からすれば、非常にまどろっこしいんですけど、逆にそれが良いものが出てきたっていうのは、4~5年の間は非常に面白かったですし、興味深かったですね。

甲子園は楽しくて仕方がない

Q:甲子園に出場をして、監督としてプレッシャーがあったかと思いますが、監督を支えている存在があれば教えてください。

小菅監督:正直、プレッシャーっていうのはもう無形のものなので、自分がそう思えばプレッシャーになりますし、甲子園で野球できて幸せだいうことであれば、そういうふうになりますし、私はもうあそこの良さを知ってるっていうのもあるんですけども。

「ああ良かった。また戻って来られて」っていう思いしかないので、もう楽しくて仕方ないというのが本音ですよね。

やっぱり監督って最善の手を尽くすだけしかできないので、そこの役割を分かっていれば、あとは天にお預けだよっていう姿勢なので。そういった何て言うか、達観した姿勢というか、そういったものがあれば、それが自分を支えているものなのかもしれませんね。

後は、なるようになるさっていうつもりで、いつもベンチにはいるんですけど、それが手を打たなかったら、例えば作戦仕掛けなかったとか、ピッチャー変えなかったとかってなると後悔すると思うんですけど、ここはもう「やるだけやったんだぞ。」とそういった姿勢を神様は見ているはずだよと。後はもう天にお預けしたっていう感じでいつもいます。

支えてくれる人。別に妻が支えてくれるわけじゃないですけど、理解はしてくれてますけど、あとは何しろ、やっぱり一緒に戦ってる仲間が私の野球も、そして甲子園というものも理解してくれてるんで、こいつらと一緒に戦って勝っても負けても悔いなしっていう姿勢はありますね。

今後のチームの目標

Q:10月8日からは鹿児島国体が始まりますが、意気込みを教えてください

小菅監督:まず、選手のモチベーションありきなんですけれども、今回は甲子園で勝ったご褒美っていう意味合いもあります。選手自身がベスト8に入るっていうことが一つ目標にしていて、それは国体に出られるからってことなんですね。楽しんで欲しいです。

甲子園から帰ってきたチームがまた熟成した形で国体に行って、せっかく野球を楽しめる場所に行けるので、選手には「楽しんでくれ」と言いたいです。

これは選手たちにした提案なんですけども「日本一になるチャンスがあるのであれば、日本一狙ってみたらいいんじゃないの」ってことは言ってます。

自分たちは高校の時に国体で優勝できたんですけども、惜しくも選手たちは甲子園では優勝できなかったので、ぜひ決勝進出。そして日本一になるチャンスをうかがってほしいっていう望みはあります。

今回の甲子園でも、選手の目標としてるベスト8に入った時に「もう自分は満足したとお腹いっぱいだと、後、みんなどうする」って聞いた時に「いや、優勝目指しましょう」というのが返ってきたので、優勝はできませんでしたけど、1勝できました。今度は提案だけしてみたいと思いますね笑

Q:チームの今後の目標を教えてください

小菅監督:チームは毎年違うものなので生物なんですよね。ですから、調理のやり方でも、味付けでも変わってくると、そして当然目標も変わってくると思うんですけれども、このチームで初めてチームを組んで出る甲子園。これはセンバツでも夏でもそうなんですけども、やっぱり高校生は甲子園を目指して欲しいと、そこで勝つかどうかはまたチームの成長の度合いで違ってくるんですけども。

「また皆で1から甲子園目指そう」っていうことをこれも提案してみたいとは思うんですけど、今の夏のチームもそうでしたけど、自分達の天井までは行ったのかなと思うんですよね。

ですから、このチームの天井がここなのか、ここなのかは分かりませんけれども、みんなにはみんなの良さがあるんだよってことはもう言ってありますし、自分達らしくやるのが一番なんだよってことも言ってありますし、その天井がどこにあるのかっていうのは楽しみではあります。

それをこう引き出ししていくのも楽しみですよね。これが高校野球の醍醐味だと思うんです。

毎年同じ子というのはいないですし、我々が一番やっていけないことは比べるのはやっちゃいけない。「去年はこうだったけど、今年はこうだ」なんていうことを比べちゃいけないっていうことですよね。

そのチームには、そのチームの良さは絶対ありますので、いいところから見て伸ばしていってあげたいなと思います。

仲間と一緒にやるから楽しい

Q:野球をやっている子ども達に、上達するためのアドバイスをいただいてもよろしいでしょうか。

小菅監督:野球の良さっていうのは団体競技の良さで、やっぱり仲間と一緒にやるから楽しいっていう。仲間と一緒に味わう勝利とか負けにしてもそうですけども、その中で成長していくということですね。

上手くいくことほとんどないんですよね、野球って。
バッティングでも3割ぐらいしか打てませんし、ミスから学べるっていうのは野球の良いところですね。

野球ってそもそもミスが多いんですよね。アウト取られるっていうのもミスですからね。でも27のアウトを取るっていうのが野球の前提なので、ミスをするのはありなんですね。
それを友達のミスを自分が取り返したとか、自分のミスを友達が取り返してくれたっていうところに、やっぱり一体感が育まれるのが、野球の魅力ですね。

自分は数ヶ月に一回欠かさないこと、大会の前後に欠かさないことが、木内監督のお墓参りと自分の同級生に石田ってエースが取手2高でいたんですが、彼が42歳で癌で亡くなっているんですね。

彼のお墓の前に行って、今の自分があるのは、君のおかげだってことをいつも言ってます。やっぱり自分の人生も人と一緒にまた出会いで伸ばされていく。

野球ってそういう部分がありまして。だからもう仲間は今でも付き合ってますし、それがやっぱり一生の友達と出会えるってのが、また少年野球でも中学野球でもいいとこなんじゃないかなと思います。

白球が生んだ系譜

丸林コーチ(写真左)と小菅監督

Q:小菅監督にとって丸林コーチはどんな存在ですか?

小菅監督:右腕とか左腕とかって話がありますが、そういったものを超越した貴重な存在ですね。

まず、彼無しでのチーム作りはあり得ない、考えられないです。

彼は高校の時の取り組みが全然違いました。誰よりも練習していましたし、誰よりもチームのことを考えてました。とにかく野球が好きですよね。だから一緒にチーム作りしてくれないかと声掛けをしました。

もう師弟の関係は超えていて、自分は本当に尊敬してます。
出会いによって人生は変わるっていうのをよく言われますけれども、彼と出会えて本当に良かったなって思っています。大事なパートナーですね。

自然体で付き合ってますけども、もう阿吽の呼吸で彼とは色んなやり取りができます。

笑い話になっちゃうんですけど「今度はどこどこのチームとやるんだ、そこで偵察に行ってもらえないか」と彼に話したら「実は今そのグラウンドにいまして」なんて言うのが1度や2度じゃないんですよね(笑)。

ほんと不思議なもので「どこどこのチームの映像をちょっと見たいんだけど」って言ったら「今、まさにそのDVD包んでいるとこでした」とか、そういうことが本当にあるんですよ。

それもチームの事を考えての行動だと思うんですけども、そんな感じですよね。

インタビューの概要は動画でも配信しています。


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