白球の系譜 ~土浦日本大学高等学校 硬式野球部 丸林コーチ~
8月6日から23日まで阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)で開催された全国高校野球選手権記念大会。
茨城県代表として出場した土浦日本大学高等学校(以下、土浦日大)硬式野球部が茨城県勢として20年ぶりとなる4強入りを果たしました。
広報常総10月号では、そんな土浦日大硬式野球部を率いた、当市出身の小菅勲監督と、監督の教え子であり、チームの参謀役として勝利に貢献した、当市在住の丸林直樹コーチに話しを聞きました。
Q:丸林コーチはどのような経緯でコーチとなったのでしょうか。
丸林コーチ:当時、伊奈高の野球部には、コーチというポジションの方は不在で、部長先生はご高齢などの理由でグラウンドには出てきませんでしたので、実質、小菅監督1人で、チームを見ていました。
私が、地元に就職が決まった報告を、小菅監督にお伝えすると「(距離的にも近いから)ぜひ、グラウンドで手伝ってくれ」「指導者として、一緒に甲子園出場を実現させよう!」とノック用の手袋とシューズをプレゼントされました。これがコーチになったきっかけです。
チームの参謀役として
Q:丸林コーチのチーム内での役割をお聞かせいただけますか?
丸林コーチ:周囲の方には、「参謀役」と言われたりしていますが、裏方の目立たぬ立場で、選手のために、監督さんのために、チームをサポート出来ればと考えています。
土浦日大では、4月~6月までは、1年生と2年生が所属する(二軍チーム)に対して、小菅野球のイロハ(高校野球の基本)を、テキストを使いながら教えています。
週末は、その1、2年生を連れて、全国各地の甲子園常連校にバスで出向き、二軍戦と言われる練習試合を行い、秋季大会に出場する新チームの土台を作っています。
二軍戦の遠征では、北は東北エリア、南は関西エリアまで移動し、総走行距離は700~1,000kmを超える時もあります。
7~8月は、夏の選手権大会となるため、地方大会、甲子園大会で、アナライザーとして、対戦チームの偵察を行い、データ分析・戦略シートを作成し、試合の前日などに選手達へレクチャーを行います。分析・戦略シートには、相手投手の攻略方法や相手打者の苦手な球種やコースなど、詳細に資料を作ります。
8月に、新チーム(1、2年生)が結成されると、監督さんに、新チームの引継ぎを行い、秋季大会を一緒に戦います。
12月から3月までのオフシーズンでは、強化合宿をはじめ、練習メニューを組み立て、その年代に見合った戦術の練習を指揮します。
200ページの野球の教科書
Q:テキストは丸林コーチが作成したとお聞きしましたが、どのような経緯で作成に至ったのでしょうか?
丸林コーチ:野球に限らず、部活動の指導って、基本的に監督さんなどの指導者が、選手たちに向けて、指導していき、別の時間では、先輩が後輩に伝えていく形がオーソドックスだと思います。
しかし、このやり方ですと、グラウンドで、教える時間が長くなり、実戦練習が短くなっていまい、効率的な練習ではありませんでした。
また、私たち指導者も、各世代(どの学年)に、プレーの意義や戦術を伝えたかを忘れたり、2度教えていたりという事もありました。
また、野球には、専門用語も多く存在し、「チームの共通言語」としての意味合いを高めたいと考え、それならば、テキストのようなものを作っちゃえ!と…。
作成当初は、様々な書物やテキストを読みあさり、また、遠征先の指導者の方々と交流する中で、参考となる事はすべてメモにとり、これらをまとめていくうちに、テキストは約200ページとなってしまいました。
Q:テキストブックの中身は,どういった内容が記載されているのでしょうか?
丸林コーチ:テキストには、戦術的な事ばかりが、表面に出ていますが、それよりも、野球をやる以前の人間性の事を重点的に記載してありますし、睡眠・栄養の事、グラウンドの整備方法、野球道具の手入れの仕方、ルールの解釈、甲子園球場の特性まで、高校野球で必要な事は、多岐に渡って記載はしてあります。
1年生のうちは、全然、理解できていませんが、寮の中でも、先輩が後輩に説明してくれたりしていますし、今回の甲子園に出場した選手たちは、当然のように、テキストの内容はすべて入っていて、「試合中も有利に試合運びができました」と聞いて、とても嬉しく感じました。
Q:テキストブックの内容は、常に更新しているのですか?
丸林コーチ:その年代ごとにやはりバージョンアップと言うか改訂してますので、常に改訂改訂でやっています。
今、来年分を編集していまして、例えば,今回新たに甲子園でクーリングタイムができましたので「クーリングタイムっていうのはこういう風にやる」とか、そういったものも一緒に掲載して、甲子園での戦い方っていうのを、また次の世代に伝えていければというふうに考えています。
延長タイブレークで始まった甲子園
Q:茨城県勢は、甲子園の1回戦の壁が立ちはだかっている印象でしたが、今年は4強入りの大躍進をしました。この要因としては何があげられるでしょうか。
丸林コーチ:今年の夏は、 無欲の勝利…。そんな感じです。
甲子園の初戦は、本当に難しいと感じています。約 48,000人の甲子園という大舞台で、普段どおりの野球をしようと言っても限界があります。
これまでは、「勝ちたい!」「絶対勝つんだ!」と、気持ちが前のめりになっていたように感じます。一方で、「今年は、これまで、つらく厳しい練習をやってきたんだから、結果はどうあれ、今を楽しもう!」と…。いわゆる無欲でした。
これが、結果として、延長戦を制したり、奇跡的な逆転劇を演じ、ベスト4という結果に繋がったと思います。
Q:初戦からタイブレークの末に8-3で勝利の激戦でしたね。
春の県大会決勝(対常総学院)と関東大会1回戦(対健大高崎)ではタイブレークを経て敗れた経験もあるなかで,今回,タイブレークで勝利を収めるに至ったのは練習を重ねた成果と思いますが,どういった対策をしたのでしょうか。
丸林コーチ:今年春から、延長10回からタイブレークとなる事を受けて、昨年の12月や本年1~2月頃は、タイブレークだけの実戦練習は行っていました。
攻撃も先行と後攻の交互に行い、終了後には、メリットとデメリットの検証を選手達で意見を出させて、チームとしての心や技術の準備は整っていたように思えます。
Q:甲子園4強という成績をどう感じていますか?
丸林コーチ:選手たちには、土浦日大高校の硬式野球部として、新たな歴史を作ってくれた事に感謝しています。
一方で、やはり、宿舎に戻ってきて、指導者と最後の挨拶をすると、選手たちは、大粒の涙を流していました。やっぱり悔しいですね…。
こうした涙を流した選手たちの分まで、次の世代では、この戦績を超えるような練習をもっとしないといけないなと感じています。
野球を通じて自分一人で生き抜く力を育む
Q:選手に指導をする際に心がけてることを教えてください。
丸林コーチ:普段の練習では、私は、主に戦術面を任されています。
また、練習中、選手たちには、きつい言葉も投げかけます。それは、選手の「甘え」を許したくないからです。高校を卒業し、大人になれば誰も助けてくれない。自分一人で生き抜く力を若いうちに育まなければならない。それを、野球を通じて教えようとしています。
また、1つのプレーに対する私の要求も高いため、選手たちもついてくるのが大変な時もあります。それでも、他の指導者が彼ら(選手たち)を私以上に成長させられるかといったら、「違う」と断言できます。誰よりも、彼ら(選手たち)の「のびしろ」を作るだけの自信は持っています。
例えば、1年を通して1回発生するか分からないプレーでも、徹底的に練習します。試合中に不測の状況が起きて、選手たちに「このプレーは練習していない」と思われる事は絶対にあってはならないからです。
Q:個性が違う選手の見極めはどうやっていますか。
丸林コーチ:野球もやっぱり人間性が出るんですよね。
手を抜く子と、最後までちゃんと手を抜かない子というのがいます。
手を抜いちゃうとやっぱりそういう子はなかなか結果が出てこないですし、技術が劣っていても、最後までやりぬく子達っていうのは最後にやっぱり花開いてますよね。
だから、そういうのはよく見るようにしています。意識的にも見ていますね。
Q:丸林コーチにとって土浦日大野球部はどういった存在でしょうか。
野球部というよりも、選手たちという人間味との関わりが大きいと感じています。
これまでの練習中では、選手の「甘え」を許したくないため、選手に対して、きつい言葉も投げかけていましたが、今年の夏は逆に支えられました。
本年4月に20年ほど連れ添った妻を亡くしました。
「行ってくるね」と普段通り出勤した妻は、勤務先で倒れました。脳梗塞でした。
私も病院に駆けつけましたが、話すことは叶わず、10日後に息を引き取りました。48歳でした。
突然の別れに、精神的なショックが大きく、1カ月ほど練習には参加できず、一人の時間が増えると不安が募りました。
そんな時、足が向いたのは、グラウンドでした。
選手達の大きな声と笑顔、妥協しないひたむきな姿を見て「大きな勇気をもらったこと」は事実です。
茨城大会に優勝して甲子園出場を決めると、キャプテンの塚原は真っ先に「これで奥さんも喜んでくれますよね」と言ってくれました。
塚原は、何事にも、常に全力で、練習試合で負けても泣いたりしています。技術も素晴らしいものを持っていますが、人として、みんなのために自己犠牲を惜しまない、熱い男でした。
サッカーやバスケットのようにボールが得点するのではなく、野球というスポーツは、人が進塁し、人が得点する。仲間が犠牲になって進塁させたり、得点したりする。やっぱり人間味のあるチ ームは強いですね。
こういう熱くて、人間味のある選手をこれからも育てていきたいと感じています。
何度も何度も反復をすることで、感覚を掴む事ができる。
Q:野球をやっている子ども達に上達のためのアドバイスをお聞かせいただけますか?
丸林コーチ:野球は「楽しいスポーツである」という事が大前提です。
勝ってみんなと喜びあって、負けて泣きながら悔しがる。気持ちを全面に出して、プレーすることが、絶対に上達する土台だと思っています。
私も、地元(常総市)の少年野球チームに小学校1年生から所属し、石下中学校でも野球部で主将も務めさせていただき、地元に成長させていただきました…。私の土台は、この故郷(ふるさと)で作っていただいたものです。
泥だらけになって、白球を追いかけた幼い頃の野球生活は、とても楽しい思い出として、私のベースになっています。この土台が無ければ、今の私はありません。
現在も、高校生の選手たちに言っている事ですが「反復とこだわり」を持ち続け、「自信」を得る事が大切だよ!と伝えています。
どんな事でも、何度も繰り返し練習をすることで、体で覚える事ができますし、その練習内容についても、こだわりを持って取り組んで欲しいと思っています。
高校生の投手に、変化球の握りや腕の振りを教えても、思ったように(変化球が)曲がらないと、すぐに飽きて、練習を諦めてしまいます。最近は、インターネットでプロのフォームも見る事ができますが、深く追求するなど、こだわりを持って理解しないと、頭も体も覚えません。
デジタルの時代に、あえてアナログのように、何度も何度も反復をすることで、「これだ!」と感覚を掴む事ができます。
そして、試合(勝負)に必要な、『自信』とは、文字通り自分を信じる事です。自分で気づき、行動を変え、それをコツコツと続けた時に、初めて本物の『自信』がつく。『自信』とは、人から与えられるものではなく、自らつかむものだと考えています。
Q:野球の楽しさ,魅力を教えてください。
丸林コーチ:私自身、幼い頃の夏休みに、真っ黒になったユニフォームで白球を追いかける高校球児の甲子園が放映されるテレビにくぎ付けになっていました。
高校球児の一挙手一投足に、「おー!すげ~!」とリアクションし、負けて甲子園の土をかき集める姿に、目頭が熱くなり、感動の時間でした。
今こうして、甲子園を身近に感じ取れる立場になり、改めて高校野球は、人間教育の場ですから、勝利至上主義に走り過ぎるのは良くないと感じています。でも、勝負事ですから、やるからには、勝利をひたすら目指すべきですし、そこに、一発勝負のトーナメントで行う高校野球の面白さはあると考えています。夏の選手権大会では、「楽しくやろう!」と言っていますが、常に楽しいだけでは、甲子園に出場できませんし、全国で勝てるほど、甘くありません。
土浦日大では、シーズンオフなどの寒い時期には、夜明け前からトレーニングをしたり、練習で涙を流すくらい厳しい練習も行ってきました。
こうした土台を作り上げて、最後の夏は「笑顔」で戦える集団を作り上げています。
自分の中で『やり切った』と思える境地に達するまで、努力をすれば、本物の自信を手に入れる事ができると思います。「ここ一番」の勝負どころで、頼れるのは、本物の自信、本物の強さだけですから…。
Q:今のお話ですとやっぱりこう勝ちにもこだわるんですが、楽しいだけだと甲子園に繋がっていかない。
そこを両立してる部分は難しいと思いますが、選手達のメンタル的な部分をうまく維持するために、気を付けていることを教えてください。
丸林コーチ:特に苦しい練習ですよね。厳しい練習とか苦しい練習の時はどうしてもモチベーションが下がり気味になりがちです。
特に冬の朝早い時間なんかは本当に寒くて、私達も、かなり寒いなと思うくらいの時間から動き出しますからね。
ただ、その時にやっぱり例えば「甲子園で勝つぞ」とか、「甲子園で茨城県代表として頑張るぞ」だとかっていうようなものを我々も、投げかけますが、今年の甲子園で勝った代の選手達は、やっぱり選手達同士でそういうのを出し合っていましたね。
だから、こういう代はやっぱり面白いし、良くなるよなっていうのは監督さんと、そんな話をしていましたね。
「この子達はひょっとしたらひょっとするかもな」っていうようなことを、冬の練習の間にですね。監督さんが私達に投げかけてたことが実際、今年の夏にこういうことが起きてですね。
そういう世代だったんだなっていうのは感じましたね。
白球が生んだ系譜
Q:丸林コーチにとって小菅監督はどんな存在ですか?
高校時代の恩師にあたりますが、学生時代は、監督と選手という立場でしたから、今と違って怖い存在で(笑)、全国制覇をなされた方が監督をやっているというオーラというか、カリスマ性のある存在感は大きく感じていました。
ただ、私が選手の頃から、現在も監督さんが「目線は低く、志は高く」と言うように、選手目線で、「甲子園はこんなにいい所だよ!」といつも希望を持たせてくださって、「努力をすれば、必ず夢は実現できるぞ!」という事を体現していましたので、選手達は、とてもやりがいを感じていました。
また、当時から、積極的に水分補給をする、休息を積極的に取る、髪型も坊主じゃなくてもよいと、選手の自主性を重んじるスタイルでしたので、全体練習は短くても、各自で行う自主練習をたくさんやった事を思い出します。
現在は、監督とコーチ(師匠と弟子)という立場で、約30年のお付き合いとなりますので、監督さんの考えている事は、だいたい分かるようになってきました(笑)
土浦日大でも、私をはじめとする複数のコーチ陣に対し、他愛のない話もしますし、アットホームな雰囲気で、どんな事でも言い合える仲間・同志のような存在でもあります。